物語を狩る種族(The Story Hunters)

読んだ本の感想を書いているブログです

レイモンド・カーヴァー「愛について語るときに我々の語ること」

 レイモンド・カーヴァーの短篇集『愛について語るときに我々の語ること』(村上春樹訳)より、表題作を読みました。最近、アカデミー賞受賞で話題の「バードマン」という映画にも劇中劇として出てきているお話です。それにラヴィ・ティドハーの短篇を読んだこともモチベーションのひとつ。

 

[あらすじ]

 ある日、まだ陽も高い頃、ニックは妻のローラ、友人のメルとその妻テリの四人で、お酒片手にテーブルを囲み、会話を楽しんでいる。その話題はいつのまにか、「愛」について、となっていた。テリは、メルと一緒になる前に暮らしていた男、エドについて話し始める。エドは暴力を働きながら、テリに対して愛してると言い続けていた。メルは、そんなものは愛ではないと主張するが、テリは、彼なりの愛だったと言う。会話を続けていく四人。ニックと私は愛がどういうものか知っているわ、とローラが言う。一緒になって一年半の二人に、メルは本当の愛、その好例を示そうと、ある老夫婦の話を語り始める。「我々は愛についていったい何を知っているだろうか? 僕らはみんな愛の初心者みたいに見える……」

 

[感想]

 この物語の中心は、ある部屋で行われる会話であり、何だか演劇にしやすそうです。それはともかく、肝心のその会話の内容はずばりタイトルどおり、「愛」について。愛にはいろんな種類があるように見えるし、そうでないようにも見える。ここで語られている愛とは、エドからテリへの愛、あるいはテリからエドへの愛、メルとテリとの愛、ニックとローラとの愛、事故にあった老夫婦の愛、メルとその前妻マジョリーとの愛、彼らそれぞれが互いに向けている愛。みな同じ「愛」について語っているが、しかしそれはそれぞれの関係性の中で異なったものとなっています。あるものは暴力的な衝動をはらみ、あるものは相互の信頼感を生み出し、あるものは憎しみへ変わり、そしてあるものは変わらない……。

 メル・マギニスの言葉、“僕らは愛の初心者みたいに見える”は、私たちがまだ「愛」そのものについて多くのことを知っていない、あるいはそれに習熟していない、ということを示しており、全貌の見えない「愛とは何か?」という問いを読者に投げかけています。

 ニックとローラの関係は好ましいものに思える反面、メルとその前妻マジョリーの場合のように、時が経ってその愛が憎しみをはらんだものへと変わる、そんな可能性を持っています。それでも、たとえその愛がとても短いものであるとしても、人はそれを追求せずにはいられない。多くの人が追い求めているもの、時にはおぼろげで、ある時には確かなものを抱いていると感じさせるようなもの。シンプルな会話劇によって愛とは何かを問う、もっと歳を経てから読み返せばより味わい深くなるように思わせる短篇でした。