物語を狩る種族(The Story Hunters)

読んだ本の感想を書いているブログです

去年買った雑誌のブックガイド

 本を読んでるけど感想を書く気力がない+ブログを始めたので月一回ぐらいは何かしら書いておきたい、ということで去年買った雑誌のブックガイドについてあれやこれやメモ的に記しておこうと思います。買っただけでほとんど読んでいないものもあるので、この機会に読みました。全6冊。

 

『小説 野生時代 第126号』

 「小説家になりたいあなたへ」という題の特集。評論家の池上冬樹が「ベスト・オブ・小説指南書」として15冊の本を、それぞれの特色とともにわかりやすく紹介しています。中条省平さんの本は「文学理論を使って小説作法を楽しく教えている」と紹介されていて面白そうなので読んでみたいところ。その他、参考になる本として紹介されているものも含めると、全部で23冊。その23冊中、私が読んだことあるのはデイヴィッド・ロッジの『小説の技巧』だけでした。まあ小説書こうとしたことがないので当然といえば当然ですが。小説家って、どうやって小説書いているんですかね?

 あ、あとは日本推理作家協会編『ミステリーの書き方』の中で乙一が「プロットの作り方」について書いている、というのを知ったのでその部分だけ読んだことがあります。というわけで中田永一中村航の対談も面白かったです。以前、ハリウッドかなんかで映画脚本の執筆に「Dramatica」というソフトが使われているとか使われていないとか聞いたことがあるので、「ものがたりソフト」の話はすごく興味深かったです。

 

『MONKEY vol.3 こわい絵本』

 穂村弘柴田元幸の対談「怖い絵本はよい絵本」では写真つきで13冊を紹介。『ねないこだれだ』は読んだことがあるような。でも読んだ絵本で思い出せることなんて今ではほとんどありません。色んなこわい絵本が読めるとても嬉しい特集でした。

 

『SWITCH Vol.32 No.9 My Food Bible 100』

”実際に料理をする人も、そうでない人も、食や料理が好きなら誰もが持っている心の1冊と呼べる「食」の本。料理の教科書、レシピからエッセイ、マンガ、小説まで、すべての「食」好きに捧げるFOOD BIBLE 全100冊!”

 というわけで食に関する本を集めた、かなり充実したブックガイドです。外食中心の生活を送っている私にはためにならなそうでなるかもしれないといった感じでした。私が持っている「食」の本といえば『檀流クッキング』と『料理の四面体』と『日本食材百科事典』ぐらいしかないような気がします。

 

クーリエ・ジャポン 2014年6月号』

 知性を鍛える「教養書」100冊ブックガイドに惹かれて手に取りました。でもノンフィクションの本ってなかなか文庫化したりしませんから、その分お値段がネックです。12人の選者がテーマ(世界情勢、和の心、経済、東アジア情勢、サイエンス、日本史、世界の宗教、日本美術、西洋美術、食文化、美しい日本語、ジャーナリズム)に沿って本を紹介するという形式です。時々自著を紹介しているのがちょっと……という感じですが、その他紹介されている本は面白そうでした。

 

『幽 Vol.21 2014年8月号』

 雑誌「幽」の創刊十周年を記念した「怪談ベストブック2004‐2014」という特集が目玉。特別アンケート企画「怪談ベストブック 私の3冊」が大変良いブックガイドで、総勢63人がそれぞれのベスト3を挙げています。小野不由美残穢』、シンシア・アスキスほか『淑やかな悪夢』、ジョー・ヒル20世紀の幽霊たち』は確かに面白かったという記憶があります。『淑やかな悪夢』にはなんといっても「黄色い壁紙」が入っているし。あと複数回挙げられているのをざっと書いておきましょう。本買う余裕ができたときのために。宮部みゆき『おそろし』、紀田順一郎東雅夫編『日本怪奇小説傑作集』、倉坂鬼一郎『怖い俳句』、東雅夫編「文豪怪談傑作選シリーズ」、小野不由美『鬼談百景』、中山市朗『怪談狩り』、加門七海『怪談徒然草』、梨木香歩『家守綺譚』、工藤美代子『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』、宮部みゆき『悪い本』、木原浩勝・中山市朗「新耳袋シリーズ」、京極夏彦『いるの いないの』、小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』、平山夢明編「「超」怖い話シリーズ」、稲生平太郎『アムネジア』、有栖川有栖『幻坂』、イーディス・ウォートン『幽霊』、京極夏彦柳田國男遠野物語remix』、恒川光太郎『夜市』。

 

『madame FIGARO japon 2014年8月号』

 「モロッコ、ロマンティック案内」という別冊付録がついています。モロッコに行きたいと思ったことはありませんが、食べ物が美味しそうで困ります。夜中に読んではいけない。

 と、モロッコはおいといて、「夏の百夜に読みたい短篇148話」というのがお目当て。短篇集を紹介するだけでなく、短編ひとつ、文芸誌からも取り上げて紹介しているのがグッドです。既読はロアルド・ダール『キス・キス』、米澤穂信「玉野五十鈴の誉れ」、夢野久作「瓶詰地獄」、キャサリンマンスフィールド「ガーデン・パーティ」、シャーロット・パーキンズ・ギルマン「黄色い壁紙」でした。

 

 雑誌じゃないけれど、今度出る『SFが読みたい!』で「サブジャンル別ベスト」があるそうなので今から楽しみです。さすがに積読がひどくなってきたので本を買うの控えたいとは思っていますが。

今年読んだ、印象に残った本

 年末なのでまとめ的なことを。だいたいは面白かった本です。今年は小説関係の本が多めでした。そして今年発売の本は少ないです。

 

ウンベルト・エーコ著、和田忠彦訳『エーコの文学講義 小説の森散策』
 再読、精読、図解の重要さがよく伝わる一冊。

トーマス・C・フォスター著、矢倉尚子訳『大学教授のように小説を読む方法』
 大学教授になる予定はありませんが、とにかく面白かった本。ノースロップ・フライの広めた「神話批評・原型批評」の威力がよくわかります。

 倉茂好匡著『環境科学を学ぶ学生のための科学的和文作文法入門』
 薄くて読みやすい上に内容が素晴らしい一冊。パラグラフライティングの入門書として最適です。

 高野誠鮮著ローマ法王に米を食べさせた男』
 著者のエネルギッシュさに脱帽。勇気をもらえる一冊。

 テン・ブックス編『いま、世界で読まれている105冊 2013』
 ブックガイド大好き人間なので*1、企画それ自体が嬉しい一冊。未邦訳の本を紹介しているので日本語で読むことはできませんが、紹介文を読むだけでも楽しめます。英語が得意な人なら、紹介されている本のうち24冊は読むことが可能。個人的には『ニシンの缶詰の謎』『女になる方法』『おしえて、偉い人!』『新・アメリカ文学史』が気になりました。

 アルカジイ&ボリス・ストルガツキー著、深見弾『ストーカー』

 中古だと高くて手が出しづらかったので、復刊してくれて大助かりでした。いまさらながら、「DARKER THAN BLACK」というアニメの元ネタの一つということに気付きました。

 山岸真編『SFマガジン700【海外篇】』
 テッド・チャンの「息吹」が素晴らしかったです。それ以外にも有名なSF作家の読んだことのない作品が目白押しで良かったです。シェクリイの作品は既訳で読んだことありますが。

 ウラジーミル・ソローキン著、亀山郁夫『愛』
 一生に一度でいいから読んでみたいと思っていたので読めて大満足の一冊。「樫の実峡谷」は映像で見てみたいです。多分かなりシュール。『ロマン』も読んでみたいと思いました。

 ジェイムズ・パウエル著、森英俊『道化の町』
 すばらしい。「魔法の国の盗人」「アルトドルフ症候群」「死の不審番」はミステリ色が強めでよかったです。

 シオドア・スタージョン著、小笠原豊樹『一角獣・多角獣』

 今年ははじめてスタージョンを読みました。というかSFを読むようになったのが大学入学以降なので、まだまだ作品を読んだことない作家が沢山いて嬉しい限りです。「熊人形」「孤独の円盤」「考え方」がお気に入り。

シオドア・スタージョン著、大村美根子訳『時間のかかる彫刻』
 「ここに、そしてイーゼルに」がすごく好みでした。いやほんとうに凄かった。

 法月綸太郎著『ノックス・マシン』
 評論を物語に組み込んだようなお話が好みに合いました。推理小説における著者の評論活動の成果をSF的発想に活かした作品群といってもいいかも。

 牧野修著『忌まわしい匣』
 「おもひで女」が読みたくて。

 アヴラム・デイヴィッドスン著、殊能将之編『どんがらがん』
 「さあ、みんなで眠ろう」「尾をつながれた王族」「パシャルーニー大尉」「ナイルの水源」が特に好みでしたが、ほとんど全部面白かったです。有名な「ゴーレム」「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」(「あるいは牡蠣でいっぱいの海」)も収録。

*1:ブックガイド目当てでいろんな雑誌を買ったりしています

Neil Gaiman 「Click-clack the Rattlebag」

 ニール・ゲイマンの「Click-clack the Rattlebag」を読みました。ニール・ゲイマンはアメリカン・コミック『サンドマン』の原作者で、ファンタジー小説家です。著作としては『スターダスト』とか『コララインとボタンの魔女』とか。と、いうような情報は知っていましたけど実はその作品を見たり読んだりしたことはありません*1。なので今回読んだのが初のニール・ゲイマン作品ということになりました。

 さて、今回読んだ作品は年刊ホラー傑作選2013年版といった趣きのアンソロジー『The  Mammoth Book of Best New Horror 25』に収録されていたものです。初出は『Impossible Monstes』というアンソロジー。「Click-clack the Rattlebag」は、著者の名前と作品名で検索すると、オーディオを無料で聞くことができるウェブサイトも見つかります。5ページほどの作品なので、オーディオでも10分程度。もちろん英語なので、聞ける人はどうぞ*2。ちなみに今回は短い作品なので自分で辞書を引き引き翻訳(いや直訳?)して読んでみました。はっきり言って英語のまま読んだほうが変にエネルギー使わなくていいなと思いました。翻訳者の苦労と、原作と翻訳は別物だという言葉の意味がよくわかりました。

 

[あらすじ]

 「ベッドに連れてく前に、お話を聞かせてくれない?」作家志望の私はガールフレンドの弟とともに家で留守番をしている。とても古くて大きい家で。宿題を終え、寝る時間になった。少年は眠る前にお話を聞かせて、寝室に連れて行ってほしいと私に頼む。私は、どんな話を聞かせてほしいか、と少年にたずねる。少年は、怖すぎるのはいやだけど、少しも怖くないと面白くないから、怖い話を聞きたい、と答える。私がそうした話を書いたことがあると姉から聞いていたようだ。「“Click-Clack the Rattlebag”の話、知ってる?」私は知らなかったが、少年の通う学校で語られている、あるモンスターについてのお話らしい。そして私たちは会話を続けながら寝室へと歩いていくのだが……。

 

[感想] 

 物語のはじめ、暖かく明るいキッチンから、肌寒くて電気のつかない廊下へ歩いていく場面が印象的でした。その後の展開を示唆しているように受け取れますからね。そして、この物語の中で目が行くのは「暗闇への恐れ」についてです。少年がモンスターについて”they're made of dark.”と語るように、まさしく私たちの「恐怖」の原体験として、この作品は暗闇を怪物に見立てて効果的に用いています。電気がつかず、青白い月光を頼りに、ギシギシと音を立てる家で、暗闇の中を進んでいくという場面は、読者の不安を喚起させ、物語に緊張感をもたらしています。そして、月光の届かない場所には完全な暗闇が待っているのです。物語の結末はホラーとしてはオーソドックスなものですが、月光と暗闇、「かちかち」や「ぎいぎい」という音、視覚と聴覚の両方を刺激して雰囲気たっぷりに想像力で楽しませてくれる作品でした。

 話は変わりますが、ジャンル小説(Genre Fiction)はその小説があるお約束に従っているからこそ、特定のジャンルに分類できます。たとえばミステリー、推理小説には謎(とその解決)が存在するというわかりやすいお約束事があります。SFのお約束事ははっきりとしていませんが。そしてホラーといえば、「恐怖する対象」だと思います。物語の中に読者にとっての「恐怖の対象」と成り得るような何かが描かれていれば、それはすべてホラーなのです。この作品における「恐怖の対象」とは「暗闇」でしょう。そして描かれている”Click-clack the Rattlebag”というモンスターは私たちの気付かないうちに忍び寄るというよりも、そうしたもの(恐怖の対象)に注意を払わないでいる、「気が付かない人たち」を飲もうとするのです。暗闇とは、私たちからは見えない部分を表しています。そうするとこの作品は、そうした見えない部分――私たちにとって「暗闇」となっている何か――に対する想像力の欠如について警告しているのかもしれません。

 

[おまけの話]

 全然、作品自体とは関係が無いことですが、作品が収録されていた『The Mammoth Book of New Horror 25』について情報を。

 『The Mammoth Book of Best New Horror 25』は「The Mammoth Book」シリーズの一冊で、他にもSF傑作選やら英国ミステリ傑作選やらゾンビや女性作家によるゴースト・ストーリーやらシャーロック・ホームズパスティーシュやら、とにかくいろんなテーマのアンソロジーその他が刊行されているようです。『The Mammoth Book of Best New Horror』は毎年刊行されているようで、めでたいことに今年で25年目、四半世紀もの間続いている息の長いアンソロジーです。

 とまあそんなわけで、21のホラー中短編が収録されています。その上、2013年のホラー作品の紹介が90ページ、2013年に亡くなった関係者についての記事が70ページ以上あり、最後には「Useful Addresses」と題して、出版社や雑誌、ウェブサイトなどが紹介されています。ちなみに収録作品の作家陣は、ニール・ゲイマンキム・ニューマン、クライヴ・バーカー、タニス・リー、ラヴィ・ティドハーなどなど。

 イントロダクション(2013年ホラー作品の紹介)はあまり目を通していませんが、キングやクーンツなどの大御所からジョー・ヒル(『NOS4A2』)やローレン・ビュークス(『シャイニング・ガール』)など、ここ数年日本でも作品が紹介されている作家も。2013年に亡くなった関係者の記事(necrology)では知っているところで、ジャック・ヴァンスリチャード・マシスントーレン・スミスイアン・バンクス、フレデリック・ポール、トム・クランシーやなせたかしコリン・ウィルソンなどの出版関係者に加え、テレビ/映画の技術者として任天堂山内溥の名前もありました。ホラーに限らず、メディア関係者を挙げているようです。

 600ページ近い本で、英語の勉強にもなるし、というエクスキューズで買った私としてはかなーり長く楽しめそうです。もう10冊以上の洋書が積読状態なんですけどね……。

*1:『スターダスト』は積読です……

*2:私も聞きましたが、原文と照らし合わせて聞かないと、貧弱な英語力なので何言ってるか全然わかりませんでした

新しいと思ったアイデアがすでに実行されていることの多さって、どれくらいでしょうね?

 昔、お風呂に入ったとき、ミステリー作品に関するアイデアを思いついたことがあります。それは全く無関係である事件の被害者たちにある共通点(たとえば、ある新興宗教を示すアイテムとか、パソコンの履歴に残った怪しいサイトとか、それらしく目立つもの)を与えることで、連続している事件に見せかけるというもの。

 無関係の事件に共通点を与え、その中にまぎれている特別な事件(つまり自分あるいは他人が起こした事件)から、警察の捜査の矛先をそらす狙いです。もちろん、予知能力者でないかぎり誰が事件の被害者になるかどうかわからないので、事件が起こったあとに現場なり個人の所有物なりにその共通点を与えることになります。これは事件現場に立ち入る機会の多い警察でなければ難しい(逆にカラクリさえわかれば容易に犯人として特定される危険もあります)。

 というわけで、犯人の素性まで考えたところで似たようなアイデア推理小説を読んでいたことを思い出し、新しいと思ってもすでにやってる人はいるんだな、トリックにこだわる推理小説家は大変だろうな、と思いました。

 さて、他の作品とネタがかぶっているかどうか、推理小説家はどのように確認しているんですかね。ふつうに、記憶を頼りにするとか、検索エンジンにキーワードを打ち込んでいるのでしょうか? もしかしたらプロの作家の間にだけ流通している、トリックのデータベースのようなものがあるのかもしれません。

 

 それから少し経ち、私は「人は音ゲープレイ中何を見ているのか視線追跡デバイスで調べた」という動画[http://www.nicovideo.jp/watch/sm24117089]を見ました。今は能力さえあれば趣味的な範囲でもこれぐらいできるのか、とその技術に感心。

 ふとそこで思いついたのは、ある絵画を眺めているときの視線を追跡してみて、画家と絵の描けない一般人とでなにか違いはあるのだろうか、とかなんとか。単に思っただけで、追求する気はありません。絵画が飾られているのはだいたい美術館だよな……、それに絵画を眺めるときはじっとしてあんまり頭動かしたりしないよな……、それなら鑑賞者の立っている位置が指定できれば簡単に視線追跡できるんじゃないか! 

 さっそく調べてみると(「鑑賞 視線追跡」で検索)、抽象絵画や写真、博物館での鑑賞を対象にして、視線追跡の技術が主に研究目的で利用されているようです。まあ、視線追跡技術を芸術鑑賞に適用する、というのはありきたりなアイデアでとくに新しいものではないと。

 

 そしてついさきほど思いついたのが、現実の人物を小説の中に取りこむことができるかどうか、ということに関してです。たしかに小説の中で現実に存在する人物を登場させることはできます。しかしそれはあくまで虚構の人物であり、現実を反映してはいても同一ではありません。なんだかナンセンスなことを考えてしまいました。

 では小説の登場人物があたかも現実に存在するように錯覚させることはできないでしょうか? シャーロキアンが、シャーロック・ホームズは実在していた、と主張する場合は別として。

 これは実在しているかどうか、実際に確認できないような状況であればできそうです。たとえば、ブログを書いている私とか。あるいは、ブログを書いている他の人でも。

 実際に会うか公的な情報を確認するかしない限り、その人物が実在しているかどうかは確認できません。私は織田信長と会ったことはないのですが(会ったと言う人に会ったこともないです)、公に沢山の情報が確認できるのでその実在を疑ったことはありません。さてブログの制作者はどうでしょうか。あるいはツイッターなどの、匿名であっても不自然ではないメディアでは。お猿さんがキーボードを叩いていたとしても気付かないかもしれません。

 ここにブログを書いている人がいるとしましょう。日記を中心とした内容で、アカウント名も実名のようです。まあ「宮原孟司」としておきましょう。彼はサッカー部に所属している高校生です。他にもギター、食べ歩き、などなどなど、と多趣味です。積極的に他のブログにコメントを残したり、ツイッター(これも実名のようで、アイコンは自撮り写真)でつぶやいていたり、web上で他の人と活発に交流をしているようです。更新は週に2・3回というところで、ブログをもう一年も続けています。

 その「宮原孟司」がある日、自分の名前が書かれた小説をweb上で見つけます。どうやら作者が彼のことを個人的に知っているようで、作品はかなり詳細に現実を反映しています。彼はそのことについて、気味が悪いとか、訴えてやるとか、ブログに書いたりツイッターでつぶやいたりします。あるいは、もしかしたら作者を特定して文句を言うという行動に出るかもしれません。そのあと彼はweb上でぱったり活動しなくなります。心配した人が彼の名前で検索してみると、その彼が気味悪がっていた小説が更新されていて、なんだか物騒なことが書いてあります。彼に何があったのでしょうか。よくよく小説を読んでみると他の登場人物も現実に存在している人のようで、名前や関連するキーワードで検索するとTumblrなりFacebookなりがヒットします。彼らも小説内で物騒な出来事が起きたとされる時期から、web上での活動をぱったりやめていました。

 この登場人物、仮に「宮原孟司」と名付けた人物ですが、もちろん架空の存在です。狙いは、現実の人物の生活について詳細に書かれた不気味な小説がある、と読んだ人に錯覚してもらうことです。もちろん彼らの生活を反映して小説が書かれたわけではなく、小説に反映できるようにあらかじめ彼らを用意した、というわけです。一年という長い期間に、様々なweb上のメディアを使用し、現実感を持たせて。これを一人でやるのは大変なので、仲間をつくって複数人で取り組む必要があるでしょう。

 

 話をもとに戻しますと、上に書いたようなことを思いついた、ということでした。新しいアイデアだと思っても、多くの場合すでにどこかで誰かが実行しているものです。いま、上に長々と書いていたことも。でしょうかね?

 

アンディ・ウィアー『火星の人』

 アンディ・ウィアー著『火星の人』(小野田和子*1訳)を読みました。本国で出版されて話題になっていたとき*2から、お、これはすごく読んでみたいぞ、と思っていたのがようやくです。

 あらすじ。NASAの宇宙飛行士マーク・ワトニーが不慮の事故により一人ぼっちで火星に取り残されるも、植物学と機械工学の知識を生かして生き延びていく話です。本当にそれだけ。火星サバイバル・ガイドです(宇宙飛行士むけ)。

 もうこのお話のシンプルさにやられました。単調ともいえますが、これが不思議なくらい面白いんですよ。というか読んでいて気持ちいい。火星の環境はあんまり人にやさしくないので、もちろん生きていくには様々な困難がともなうわけです。その様々な困難を右から左へどんどん解決(植物学者ってスゲー!)、まあ、さっさと問題点を潰していかないと死んじゃいますからね、問題を見つけてはそれに対する解決策をポンポン出していく、スピーディーな話の運びかたが素晴らしい。その困難というのも極めて現実的なもので、ただ単に主人公を苦しめるためだけに用意された急展開では〈ない〉のだった――本当だ! 小説の作者よりも頭の良い作中人物は書けない*3、と思っているので、問題を発見して(ちゃんと見つけるのもすごいですよね?)それに対して有効な対策を考えつく、そんな登場人物たちを書いた作者には脱帽しました。

 主人公を苦しめる、というのは物語の定跡で、そういう場面では苦しめられている主人公を見ているこっちも暗い気分になってきたりします*4。先にも述べましたが、本書も主人公に困難が振りかかり、振りかかり、振りかかり……、という話なので読者も苦しくなりそうですがご安心を。小説の大部分が主人公によるログ、という体裁になっており、そこで主人公(あるいは作者)のユーモア精神が遺憾なく発揮されています。読者はハラハラドキドキ不安になりながらも、「こいつ全然あきらめてないぞ!」と勇気をもらって(笑いながら)読み進められるわけです。

 というわけで、非常に説得力のある展開でお話を盛り上げてくれて、読んでいるほうも「ここまでやっておいて主人公が助からないなんてことないよね? ないよね?」と思いつつ、マーク・ワトニーその他のユーモアに助けられながら、最後まで楽しめる素晴らしい作品でした。

 

*1:同じ訳者の作品では『シリンダー世界111』を読んだことがあります。変な話で(まあ大抵のSFは変な話です)、ひねくれにひねくれている登場人物が良かったということぐらいしか覚えていませんが

*2:どこかの洋書のレビューサイトなりブログなりで見たはずなのですが、それがどこなのかさっぱり思い出せません。ここでリンクを貼っておきたかったのだけれど

*3:もちろん天才という定義に当てはまる人物を書くことはできますけど、その人物の頭のよさを書けるかは……どうでしょう?

*4:程よく装飾された文章が回想を彩る『静かなる天使の叫び』というお気に入りの小説があるのですが、これも主人公が作者にいじめられてて、読んでいて悲痛な気分になったりしました