物語を狩る種族(The Story Hunters)

読んだ本の感想を書いているブログです

新しいと思ったアイデアがすでに実行されていることの多さって、どれくらいでしょうね?

 昔、お風呂に入ったとき、ミステリー作品に関するアイデアを思いついたことがあります。それは全く無関係である事件の被害者たちにある共通点(たとえば、ある新興宗教を示すアイテムとか、パソコンの履歴に残った怪しいサイトとか、それらしく目立つもの)を与えることで、連続している事件に見せかけるというもの。

 無関係の事件に共通点を与え、その中にまぎれている特別な事件(つまり自分あるいは他人が起こした事件)から、警察の捜査の矛先をそらす狙いです。もちろん、予知能力者でないかぎり誰が事件の被害者になるかどうかわからないので、事件が起こったあとに現場なり個人の所有物なりにその共通点を与えることになります。これは事件現場に立ち入る機会の多い警察でなければ難しい(逆にカラクリさえわかれば容易に犯人として特定される危険もあります)。

 というわけで、犯人の素性まで考えたところで似たようなアイデア推理小説を読んでいたことを思い出し、新しいと思ってもすでにやってる人はいるんだな、トリックにこだわる推理小説家は大変だろうな、と思いました。

 さて、他の作品とネタがかぶっているかどうか、推理小説家はどのように確認しているんですかね。ふつうに、記憶を頼りにするとか、検索エンジンにキーワードを打ち込んでいるのでしょうか? もしかしたらプロの作家の間にだけ流通している、トリックのデータベースのようなものがあるのかもしれません。

 

 それから少し経ち、私は「人は音ゲープレイ中何を見ているのか視線追跡デバイスで調べた」という動画[http://www.nicovideo.jp/watch/sm24117089]を見ました。今は能力さえあれば趣味的な範囲でもこれぐらいできるのか、とその技術に感心。

 ふとそこで思いついたのは、ある絵画を眺めているときの視線を追跡してみて、画家と絵の描けない一般人とでなにか違いはあるのだろうか、とかなんとか。単に思っただけで、追求する気はありません。絵画が飾られているのはだいたい美術館だよな……、それに絵画を眺めるときはじっとしてあんまり頭動かしたりしないよな……、それなら鑑賞者の立っている位置が指定できれば簡単に視線追跡できるんじゃないか! 

 さっそく調べてみると(「鑑賞 視線追跡」で検索)、抽象絵画や写真、博物館での鑑賞を対象にして、視線追跡の技術が主に研究目的で利用されているようです。まあ、視線追跡技術を芸術鑑賞に適用する、というのはありきたりなアイデアでとくに新しいものではないと。

 

 そしてついさきほど思いついたのが、現実の人物を小説の中に取りこむことができるかどうか、ということに関してです。たしかに小説の中で現実に存在する人物を登場させることはできます。しかしそれはあくまで虚構の人物であり、現実を反映してはいても同一ではありません。なんだかナンセンスなことを考えてしまいました。

 では小説の登場人物があたかも現実に存在するように錯覚させることはできないでしょうか? シャーロキアンが、シャーロック・ホームズは実在していた、と主張する場合は別として。

 これは実在しているかどうか、実際に確認できないような状況であればできそうです。たとえば、ブログを書いている私とか。あるいは、ブログを書いている他の人でも。

 実際に会うか公的な情報を確認するかしない限り、その人物が実在しているかどうかは確認できません。私は織田信長と会ったことはないのですが(会ったと言う人に会ったこともないです)、公に沢山の情報が確認できるのでその実在を疑ったことはありません。さてブログの制作者はどうでしょうか。あるいはツイッターなどの、匿名であっても不自然ではないメディアでは。お猿さんがキーボードを叩いていたとしても気付かないかもしれません。

 ここにブログを書いている人がいるとしましょう。日記を中心とした内容で、アカウント名も実名のようです。まあ「宮原孟司」としておきましょう。彼はサッカー部に所属している高校生です。他にもギター、食べ歩き、などなどなど、と多趣味です。積極的に他のブログにコメントを残したり、ツイッター(これも実名のようで、アイコンは自撮り写真)でつぶやいていたり、web上で他の人と活発に交流をしているようです。更新は週に2・3回というところで、ブログをもう一年も続けています。

 その「宮原孟司」がある日、自分の名前が書かれた小説をweb上で見つけます。どうやら作者が彼のことを個人的に知っているようで、作品はかなり詳細に現実を反映しています。彼はそのことについて、気味が悪いとか、訴えてやるとか、ブログに書いたりツイッターでつぶやいたりします。あるいは、もしかしたら作者を特定して文句を言うという行動に出るかもしれません。そのあと彼はweb上でぱったり活動しなくなります。心配した人が彼の名前で検索してみると、その彼が気味悪がっていた小説が更新されていて、なんだか物騒なことが書いてあります。彼に何があったのでしょうか。よくよく小説を読んでみると他の登場人物も現実に存在している人のようで、名前や関連するキーワードで検索するとTumblrなりFacebookなりがヒットします。彼らも小説内で物騒な出来事が起きたとされる時期から、web上での活動をぱったりやめていました。

 この登場人物、仮に「宮原孟司」と名付けた人物ですが、もちろん架空の存在です。狙いは、現実の人物の生活について詳細に書かれた不気味な小説がある、と読んだ人に錯覚してもらうことです。もちろん彼らの生活を反映して小説が書かれたわけではなく、小説に反映できるようにあらかじめ彼らを用意した、というわけです。一年という長い期間に、様々なweb上のメディアを使用し、現実感を持たせて。これを一人でやるのは大変なので、仲間をつくって複数人で取り組む必要があるでしょう。

 

 話をもとに戻しますと、上に書いたようなことを思いついた、ということでした。新しいアイデアだと思っても、多くの場合すでにどこかで誰かが実行しているものです。いま、上に長々と書いていたことも。でしょうかね?